D先生のブログ

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やらなきゃいけない?要録の話

今日の放課後の話

ボス「要録の所見なんだけどさ、市内図工展覧会ってこれだけで良いの?入選とか出展とかって書かなくていいの?」

 

私「年度初めに要録の書き方について統一された文書が出てたと思いますけど…(ゴソゴソ)」

 

ボス「え?そうなの?あ、出展ではないか…出品か…?どっちが正しいんだろ。去年どうやって書いた?」

 

私「去年はたぶん出品って書いた気がします。まあ内容が伝われば何でも良いと思うんですけど。」

 

ボス「後さ、この書き方なんだけどさ、客観的に見た事実だけ書くべきじゃない?素晴らしいとか達成感を味わったとかさ、超主観的だよね」

 

私「なるほど。直した方が良いですか?個人的には、生徒指導部で引継ぎ資料を作ってますし、要録は手を抜く仕事だと思うのであまり直したくないんですけど笑」

 

ボス「そうだね~。一応公文書だしね。赤入れたところは直してほしいかな。」

 

私「わかりました~ありがとうございます(白目)」

 

ということがありました。

直す分量もそれほど多くないですし、校長によって指導が違うことはよくあることなのでまぁ良いかなぁと思うのですが。他の自治体ではどうなんでしょうか。ていうか、そもそも指導要録の目的は??何のために私たちは指導要録を作っているのでしょうか。ということで考察してみました。

指導要録の目的

児童生徒指導要録は、児童生徒の学籍、指導の過程、結果の要約を記録することにより、

  1. その後の指導に役立たせるもの、
  2. 外部に対する証明等の際の原簿となるもの、

であり、学校において必ず作成するものとされている。

資料6‐1 児童生徒指導要録について:文部科学省

文科省のHPには上のように書いてあります。

外部に対する証明の原簿…??というのは指導に関する要録ではなく、学籍に関する要録ということでしょうか…。詳しい方教えてください。

児童個票と指導要録

しかし、本校では指導要録とは別に

・児童の学力

・リーダーシップ

・運動能力

・気になる行動、問題行動があった場合の指導過程

などを記録した児童個票というものを作成しています。クラス分けや、次年度の担任への引継ぎ資料として活用しています。また、中学校への引継ぎ資料としても同じようなものを作成し、中学校へ送っています。本来、指導要録が果たすべき役割のようにも感じますが、なぜ、同じような目的の文書を2つも作成しなければならないのでしょうか。

目的のねじれ

その理由の一つに、指導要録の開示請求があります。指導要録には、開示請求があった場合保護者に開示する義務が生じます。その時に、通知表で保護者に伝えていること以外(特に児童生徒のマイナス面)の情報が書いてあった場合、保護者との信頼関係を崩しかねないリスクになる。と考えられています。

そのため、本校では「指導要録にはあゆみで書いている事以外の情報は書かない」という指導が入っています。

結果として、本来の目的の「その後の指導に生かす」ための要録ではなく、「とりあえず作成義務があるから通知表の所見をコピペする」という生産性のない作業になってしまうのだと思います。

※でも、引継ぎ資料にあたるものも、開示請求があったら開示しなきゃいけないと思うんだけど…。詳しい方教えてください…

「やらなきゃいけない」をどう受け取るか

要録のような「(やりたくないけど/必要性を感じないけど)やらなきゃいけない」仕事に関しては3つの選択肢があると思います。

①なんとかして無くす

②割り切って効率よく進める方法を模索

③やらなきゃいけない仕事に価値を加える

 

①は法律に定められているので要録に関しては不可能です。

②は現状です。ムダだけどやらなきゃいけないとわかっているので、割り切ってひたすら効率化を図ります。「どうせ見ないんだから、主観とか客観とか出品とか出展とかどうでも良いからさっさとAIにでもやらせようぜ」的な感覚。

③は「やらなきゃいけないんだから、どうにかして子供か教員か保護者にフィードバックできないか」という考え方です。どうやっても作ることから逃げられないんだから、なんとか意味のあるものにしようという発想です。

 

個人的には、今回のボスのように(ボスは普段とても良い方です笑)目的も根拠もあいまいで、なんとなく非効率的な選択をしている人もけっこう多いんじゃないかなぁと感じています。自戒の意味でも、仕事一つ一つの目的をはっきりさせないとなぁと思いました。