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「足並みを揃える」メリットとデメリット。どこが分かれ目?

 

「足並みを揃える」という言葉が学校現場ではよく聞かれます。ニュアンスとしては「一人で突っ走らずに、みんな同じように進めて(指導して)いこうな」的な感じです(たぶん)。

でも…足並みを揃えるって具体的にどんなこと?そもそもなんのために揃えるの?揃えなかったらどうなるの?

現場にいる人たちは「〇組だけやっててずるい」とか「なぜ〇組はやらないの?」といったクレームに対応するために揃えるようにしていて、その本質を捉えられていないように思えます。

今回は学校の「揃える文化」について考えていきたいと思います。

 

 

揃えたがり主任

冒頭のツイートで考えれば足並みを揃えることがやっかいなことのようにも感じられますが、一概にそういうわけではありません。やっかいなのは、なんでもかんでも揃えようとする主任(私もそうでした…)です。以前の私は

学年みんなが同じように指導している=学年がまとまっている

という勘違いから、足並みを揃えることが目的となってしまい、「何のために揃えるのか」という本来の目的を見失っていました。

足並みを揃える事は、あくまでも「手段」であり、それ自体が「目的」ではありません。本当にまとまっている学年というのは、指導方法(手段)だけが揃っているのではなく、目指す児童の姿(目的)が揃っているものです。※例外もあると思います。この辺はまた近いうちに書こうと思います。

 

揃える事のメリットとデメリット

では、足並みを揃えることのメリットとデメリットを整理してみます。

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こんな感じでカテゴライズしてみました。

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私が個人的に考えるメリットとデメリットなので、色々な考え方があると思います。

実際の例で考えてみます。

 

給食指導の例

何年か前、年度初めに給食準備の仕方を揃えました。

・給食準備は無言

・配膳準備ができるまで、当番以外は待つ

・配膳準備ができたら日直が「〇班さんどうぞ」と静かに待っている班を呼ぶ

コレ、6年生です。「目指す児童の姿(目的)」の共有はナシ。「配膳方法(手段)」だけ共有。

ある先生が5月くらいに「何のために無言なんでしたっけ?」と聞いてきました。私は「昨年度からの引継ぎだし、切り替えとか規律面じゃない…?」という中身のないなんとも曖昧な感じで答えました。

その先生は「うちのクラスの子供たちが最近早く準備するために声かけあって自分たちで考えて動いてるんですよね。みんなが給食に意識を切り替えて動けたら別に無言じゃなくても良いんじゃ…。あと、中学校って別に無言で配膳しないですよね。来年に引き継ぐ必要もないんじゃ…。」的なスーパーまっとうな意見を伝えてくれました。

 

分かれ目は「目的の共有」と「児童の発達段階」のバランス

この例から何を伝えたいかというと、足並みを揃えるも揃えないも大切なのは「目指す児童の姿(目的)」の共有だということです。「規律を守る力」を身につけさせたいのか「自分たちで考えて動く力」身につけさせたいのかを、配膳の方法よりも優先して話し合い、共有するべきでした。

また、「児童の発達段階」も考慮したいところです。低学年ならまだ規律面を優先して良いかもしれません。が、高学年ならば、自分たちで考えて動けるようになってほしいものです。そう考えると、さっきのマトリクスも、学年が上がるにつれ

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A領域が広がって、教員主導で「足並みを揃える」から、子供主体で「各クラスの色を出す」実践になっていければ良いのかな。と最近は考えています。

と、書いてみましたが、なかなかまとまりませんね~。思考をまとめるのも、文章書くのも難しいです。